2007年 02月 24日
「母たちの村」
監督、脚本は“アフリカ映画の父”と呼ばれるウスマン・センベーヌ。
主演のコレ・アルドにファトゥマタ・クリバリ。クリバリはアフリカ、マリ共和国のTV局に勤めている女性とのこと。主要キャストの殆どがブルキナファソ人。
まるでドキュメンタリーのようなヒューマン・ドラマ。
カンヌ国際映画祭・ある視点部門・グランプリ受賞(2004年)
西アフリカ、とある村。ある朝、コレ(クリバリ)の元へ4人の少女がやって来る。彼女たちは村の長老らが言い伝える“イスラムの教え”である“割礼”から逃れるためだった。
コレは少女たちを家に入れ守ろうとする。彼女は7年前、娘アムサトゥ(サリマタ・トラオレ)にも割礼を受けさせなかった。それは自分自身が割礼のため、流産やお産の苦しみを味わったからであった。
コレが少女たちを保護している事が知れ渡り、村に騒動が起きる。
21世紀のこの時代...映画の世界が現実だとはすぐに理解出来ない。
今でも重婚がOKなアフリカ。主人公コレは第二夫人である。第一、第三夫人とまるで姉妹のように助け合って一つ屋根に暮らしている。夫は絶対的であり、逆らう事は許されない。
余りにも時代錯誤でなんとも歯がゆいが、あのような世界が今だ存在しているとはマジで驚く。
監督は今でも、一部のアフリカ諸国で残る悪しき風習“割礼”を無くそうと訴えるため、この映画を作ったと言う。
映画を観た後、泣き叫ぶ少女たちの姿が脳裏に残り哀しい。
しかしラストで、コレたち女性が“イスラムの教えに割礼は存在しない!”と主張し、“二度と娘たちを切らせない”と宣言し、歌うシーンには感動する。
昨年の夏、神田神保町・岩波ホールにこの映画の大看板がかかっていたのを思い出した。
女性たちが着ている衣服がとてもカラフルで、彼女たちの肌の色とマッチしていてナイスである。
原題の“モーラーデ”と言う言葉には“聖域/避難場所”と言った意味があると言う。
邦題の“母たちの村”は正にズバリのタイトルかと思える。
「割礼」・・・考えられないですね。
この映画、思い出しただけでなんか私も痛いです。(苦笑)
こんな風習考えられません。
岩波に行かれてたんですね。
大きなシアターでご覧になったので余計痛かったかも??
いやほんとマジ??の世界でびっくりでしたわ。
究極の女性蔑視風習でしょうかね?無くなると良いです。
さすがですね!この監督の映画ご覧になってるなんて...
そうそう彼は80才過ぎてるんじゃないでしょうか確か?
映画のラストは女性たちに拍手送りたくなりましたね。
映画なので皆さん演技しているのでしょうが、まるでドキュメンタリーンのようにとても自然な感じで映像とマッチして素晴らしかったです。
女性たちが頭にプラスティックのバケツを載せて物を運ぶシーンは絵のようでした。
アフリカが舞台の映画を去年今年とあれこれ観ましたが、真のアフリカの映画といったらコレですよね。
文盲が多いアフリカに何かを伝えるなら、映画だと、作家から映画監督に転身したこの監督の思いに感動してしまいます。
母の強さにも大いに感動ー。ビビッドな映像も印象的でしたね。
あれこれアフリカ舞台映画ご覧になってますのね。
真のアフリカ映画...確かに...“アフリカ映画の父”が作っただけありますね。
ハリウッド俳優が出演しているアフリカ舞台映画は観ましたが...やはりちょっと違うのでしょうね?
映像で伝えるなんて素晴らしいですね。伝わってくれるよう祈るのみでございますわ。
正に母は強しであります!
女性器の切除というか割礼というものは今現在の欧州や米国でも移民の手によって行われております
マタ、その同じ部落の民が集団で自国のばばさまを連れてきて、娘たちを集団で行為を行わせます。
なんとかその行為を行わせないようにと政府からも禁止されておりますが、その行為なしではその集団から逸脱して結婚できない者として扱われるのを恐れて、親が行為の決定権を保持するものであります
全くもって別世界の出来事を描いた映画でしたが感動いたしました。母は強しの一作ですね。