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メディチ家の礼拝堂とアカデミア美術館

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ウッフィツィ美術館では色々あったけどラファエッロ/ボッティチェリ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの“受胎告知”などを堪能した。次の目的地はメディチ家の礼拝堂。わたし的にメディチ家といえばカトリーヌ・ド・メディシス。彼女はフランス王アンリ2世の妻であり、言わずもがなのmargotのマザーである。margotのルーツであるここは絶対に外せなかった。
そしてもう一つ、ミケランジェロが設計した霊廟があると知ったため...。

ウッフィツィ同様FLORENCE MUSEUMで事前予約した。でもやはり全く予約なんていらなかった。ウッフィツィを2時間以上ゆっくりと見て回り(回廊に置いてあるベンチでしばし休憩もしたし...)、お昼前にメディチ家の礼拝堂に到着。
ウッフィツィからドゥオーモに戻り、ドゥオーモの前にいた警官に道を聞いた。フィレンツェでは女性の警官に良く出会った。ローマの男性警官より愛想が良く、英語も上手い。メディチ家の礼拝堂はドゥオーモから5分くらいの所にあった。礼拝堂の建物の裏側から入り込んだようで、目の前に茶色の古い建物が出現。そしてそれが目指すメディチ家の礼拝堂だった。表に回ると、これがメディチ家の礼拝堂といったたたずまいで、教会もそうだが、中が荘厳な建物はファサードがしょぼい。
ドアを開けて入ると、チケット売り場に観光客は一人もいない。プリント・アウトした予約の書類を見せるとチケットと交換してくれた。入り口で手荷物検査がある(空港と同じ)。

入ってすぐの所にメディチ家の財宝が鍵がかかったガラス・ケースの中に鎮座している。絢爛豪華な装飾品をさらっと見て礼拝堂を目指す。それは2階にあった。ところがもう全くショックなことに“君主の礼拝堂”は修復中だった。はるばる東京からやって来たというのに...哀し過ぎる。過去にTVや写真で見た“君主の礼拝堂”はヤグラが組まれた中にあり、見るも無惨な姿であったことよ。
かつてリッチな貴族は自分の家に礼拝堂を所有していたという。メディチ家の礼拝堂はきっとその最たるものだったに違いない。

しかしながら、とにかくこの礼拝堂はスゴい!“君主の礼拝堂”は巨大な空間の中にあるのだ。これが個人(一族)のものだったとは...メディチ家のリッチさが半端でないことがわかる。
祭壇の正面から壁面にかけての色彩は落ち着いたグリーンが使われている。壁面を飾る大理石の装飾も素晴らしく、床にはモザイクのような美しい文様が、これもグリーンを基調にした色彩で描かれている。“君主の礼拝堂”は正に“荘厳な雰囲気”に包まれている。
クーポラの天井画も素晴らしかったが当然ノー・フォト。1階にショップがあり、ポスト・カードでも買おうかと思ったが、予約した入場料金がバカ高かったのでやめにした。

礼拝堂は歴代トスカーナ大公の墓所であるそう。礼拝堂を出て別室に進むと、ミケランジェロが設計した霊廟がある。以外に小さいくて驚く。部屋にはミケランジェロが作ったウルビーノ公ロレンツィオ・デ・メディチとネムール公ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑が向かい合って置かれていた。
“メディチ家の礼拝堂”訪問は修復が終わってからがgood。
上の写真はMUSEO DELLE CAPPELLE MEDICEEからいただいて来たもの。

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“メディチ家の礼拝堂”を出て、斜め向かいにあるBARでランチにした。ここのピザはそれほどでもなかった。というもの生地が分厚いのだ。ローマで食べたピザはスーパー級に薄くて、ローマのピザが恋しかった。でもお店のマダム(多分オーナー)がとても親切で良かった。ローマよりフィレンツェの女性の方が優しい。ピザをビールで流し込み、エスプレッソも注文。色んな所でエスプレッソを飲んだが、どこで飲んでもエスプレッソは美味。

お腹も満足し、次はアカデミア美術館へ...地図を見てメディチからアカデミアまで10分くらいと判断した。通りの名前を確認して進んで行くが、こんな所に美術館あるのか?みたいな通りだったがアカデミア美術館に到着。道を歩いている時にも感じたが、アカデミアってこんな所にあるんだと思わず見上げてしまった。入り口も普通のドアで、ここで良いのか?とドアを開けたら“こちらは出口よ、正面に回って。”と言われてしまった。

同じように予約をしていたが、やぱり冬は予約などいらない。書類を見せて、チケットをもらい、いざ憧れのアカデミアへと歩を進めた。
アカデミアに来たのはただ、ただ“ダヴィデ”を見るため。アカデミアはそもそも“ダヴィデ”で有名な美術館と呼ばれているらしい。
そしてこの美術館は美術学校の学生の教材のコレクションのために作られたことを知った。どうりでスケッチしている若者がいっぱいいたわけだ(所狭しとふんだんに彫刻を並べた部屋がある)。皆さん熱心にスケッチしていたのを思い出す。

入ってすぐの所に13世から16世紀のトスカーナの絵が並んでいる。次に廊下のようなギャラリーにミケランジェロの四体の“奴隷像”があった。それは未完成だそうだ。そして正面に明るいクーポラの部屋があり、囲いに囲まれた“ダヴィデ”が立っていた。大きいとは想像していたが、これほど大きいとは思わなかった。ヴェッキオ宮前のダヴィデはそんなに大きくは見えない。でもこちらのダヴィデは部屋の中にあるせいだろうと感じる。椅子に座ってダヴィデをスケッチしている学生を見つけた。椅子は何脚かおいてあり、空いている椅子があったので思わず座りゆっくりと心行くまで“ダヴィデ”を鑑賞。
後で“ダヴィデ”の囲いを一周してみた。斜めから、後ろからと見ていて、彼の右だったか?の背中に結構大きな傷(裂け目)があることに気づいた。
上の2枚はアカデミア美術館のある通り。中はもちろんノー・フォト。一番下はWIKIPEDIA Michelangeloから拝借して来た写真。

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by margot2005 | 2012-02-02 21:56 | TRIP | Comments(0)